将棋の神様〜0と1の世界〜

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」&「チェスクロイド」作者がおくる、将棋コラム

直感と錯覚

将棋世界4月号から「盤上のトリビア」という新連載が始まった。第1回は、局面を左右反転させると普段とは違った見方が出来るよ、という内容である。私自身もこの考え方の重要性には気づいていて、自分のホームページ「三間飛車のひとくちメモ」の「最近のひとくちメモ」1/17付のところで、反転して形勢判断をすることの有効性をちらっと書いていた。
さて、その「盤上のトリビア」第1回の文の中に、理解しかねるところがある。以下は一部の抜粋(119ページ真ん中あたり)。


「裏」が「表」と違って見えるのは、人間ゆえに起きる錯覚である。コンピュータなら同じ局面と認識するはずだ。
じつは「錯覚できる」という能力こそが、将棋ではいまだ人間がコンピュータに優位を保っている要因となっている。
こう書いていながら、筆者はこの先に「錯覚できることの優秀性」を書いていない。どうやらここでの「錯覚」というのは「感覚」のような意味で用いているらしく、続いて

今のコンピュータの能力では、しらみ潰しに全部の変化は読めない。人間にも当然読めないが、こんな手がよさそう、という直感が働く。それまでの知識、経験をもとに「本筋」という直感を養うことで読みを省略できる。反面、「本筋」を身につけるほど、先入観や思い込みによる錯覚も起きやすくなる。
と書いている。引用はここまでにとどめるが、ぜひ皆さんにも本文全部読むことをお勧めする。
さて、私の言いたいことは何かというと、上の文章は「錯覚」はおろか、「直感」の良さすら示せていない、ということだ。
ようは、「直感」はあまりにも無筋な読みを省略することにしか活きない。そうでないと、それは有効な手まで省略してしまう「錯覚」に変わってしまう。しかも、局面を反転しただけで人間の直感は狂わされる。当然ながら、局面を反転しても同じ局面と認識できるコンピュータのほうが勝るのだ。
前コラムでも述べたように、「定跡」や「直感」は、終局まで完璧に読みきれない、我々人間に与えられた道標に過ぎない。
そして引用から言える墓穴。それは、
「コンピュータがしらみ潰しに全部の変化を読める時代がきたら、絶対に人間はコンピュータに勝てない。」
ということである。人間には「直感」というしがらみがあるから、将棋の究極の姿が見えてこない。直感を捨てれば、「人間の将棋」のレベルはより速く向上するはずである。