将棋の神様〜0と1の世界〜

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」&「チェスクロイド」作者がおくる、将棋コラム

将棋の神様との対局をシミュレートする渡辺明竜王

渡辺明物語」

今さらながら、「将棋世界」2009年3月号〜5月号に載っていた「渡辺明物語」(取材・文:小暮克洋氏)が面白かった。
渡辺明竜王の戦歴の確認になるのはもちろん、とりわけ、5月号*1の最後で明かされている、渡辺竜王の葛藤が興味深い。

将棋世界 2009年 05月号 [雑誌]
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実はこの2年ほど、渡辺はずっと苦悩しており、いまはその悩みがドン底にあるのだという。(中略)
結果が悪いから悩んでいるのかといえばそうではなく、将棋の奥深さというか、将棋というゲームは何なのかといったことにまで思いを巡らすので根が深い。(中略)
棋理を追求するあまり、神様と戦い出すと、やる戦法がなくなってくる。(中略)
本筋追求という要素だけでなく、自分と戦うイメージで判断するので、勝ちやすさ、ということは考える。神様相手には通用しないかもしれないが、自分と戦うときはたぶん堅いほうが勝つ。

事前の研究で、最善を追求して考えすぎると、きりがない(棋理が無い)。
一旦対局が始まってしまえば、「シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代」の中で羽生善治名人が語っている心構え

結局、手番を指したら、自分の手は消えてしまうので、そこはもう相手に委ねるしかないところですから。悩んでも、どういう手が返ってきても、それを受け入れるしかないということですよね。そういう曖昧さとか、いい加減さとか、あるいは心配みたいなものを、どういうふうに克服していくか。そういうことに繋がるきがしますね。

を、渡辺竜王ももちろん持っているに違いない。
だが実は、対局前には相手がいないので、どうしても真理を、究極を追求しがちになる。

事前検討においても、「神様」を相手にせず、曖昧さを取り入れ、思いつめ過ぎないようにする。相手は人間なんだよ、と。

この心構えも1つの重要な要素といえそうだ。これは将棋の世界に限らず、スポーツやビジネスの世界にも当てはまることだろう。ただし気の抜きすぎはよくない。

狂気の世界

羽生名人は、上記のほかに、「決断力」(角川oneテーマ21)にて下記の言葉を残している。

将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、心がついて行かなくて、いわゆる狂気の世界に近づいてしまう。(中略)
入り口は見えるけれど、一応、入らないでおこうと思っている。

これらは対局中以外の時間について述べているわけだが、20世紀末の将棋世界誌上の連載「変わりゆく現代将棋」(詳しくは「シリコンバレーから将棋を観る」参照)の最中は、「この世界に踏み入れていたのではないか」と思えるほどストイックな内容だ。
羽生名人は、2003〜2004年に立て続けにタイトルを失い、1冠のみになってしまったことがあったが、世紀末前後に訪れた「狂気の世界の一歩手前」との因果関係があったのかどうかは神のみぞ知る、といったところか。*2

竜王物語」の続編を描くために

羽生名人を退け、初代永世竜王載冠、そして竜王保持状態であるので、不調と言っては失礼なのかもしれないが、渡辺竜王には他のタイトル戦にも絡むような更なる活躍を期待したい。

*1:現在書店に並んでいるのは7月号なので注意

*2:単に森内俊之九段が絶好調過ぎた(この時期羽生名人から複数のタイトルを奪取)、と考えるのが有力か