将棋の神様〜0と1の世界〜

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」&「チェスクロイド」作者がおくる、将棋コラム

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将棋とマラソンの類似点

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東京マラソンに出場

2009/03/22に行われた東京マラソンに出場してきた。人生初のフルマラソン挑戦だった。
結果は、ネットタイムで3時間45分くらい。3時間台で走ること(4時間を切ること)を「サブフォー」と呼び、一般的な市民ランナーとしては結構マシな記録とされている。私の目標も、このサブフォーを達成することが第一にあったので、無事達成できてとてもうれしい。なお、2時間台で走ること(3時間を切ること)を「サブスリー」と呼び、これを達成できれば一流市民ランナーと呼べるようだ。
ここで、「ネットタイム」の意味は下記の通り。私の場合、出場ランナー35,000人の大集団の真ん中辺りからのスタートだったので、号砲からスタートラインを通過するまでに約10分かかった。


グロスタイムは号砲からゴールまでの時間のこと、ネットタイムはスタートラインを通過してからゴールまでの時間のことです。
一般に大規模なマラソンではスタートラインを切るまでに大幅なタイムロスがあるので、グロスタイムネットタイムを大きく上回ります。

将棋とマラソンと羽生名人

羽生善治名人は、よく将棋をマラソンに例えることで知られている。


約650人の来場者から祝福を受けた羽生名人は「持ち時間9時間の名人戦は長い距離を走るようなもの。たくさんの人たちの声援や激励を感じながら走り切ることができた。これから先、永世名人という大きな称号を持って歩んでいくという緊張感をひしひしと感じているが、マラソンを走っていく気持ちで前に進んでいきたい」と話した。


将棋の世界はシーズンオフが無いので、それが20年間ずっと続いているという感じです。オリンピックのように4年に1回を目標にするのとは違って、ずっと走り続けているマラソンみたいなもので、対局をずっと続けていくようなものなんです。だからその途中で一時的にトップに立っても仕方が無いですし、立ち止まって振り返ることもしません。でもマラソンのようなゴールはないと思います。


名人戦は二日間かけて対局しますから、いわばマラソンのようなもので、常に全速力で走り続けるわけにはいかないんです。勝負どころでは、本当に深く集中して読まなければいけないし、また相手の様子を見るところでは少し休んだりと、長い時間の中で波をつくっていかなければ一局を乗り切れないんです。

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最近は、勉強というものに対して、マラソンを走っているようなものだと思っています。マラソンランナーがなぜすばらしいかというと、速く走るのももちろんすごいのですが、何よりもすばらしいのは”同じペースで走り続ける”ことができる点です。十キロだったら十キロを決まったタイムで走り続けることができるというのが、マラソンランナーが持ち合わせているすばらしい能力だと思います。
それと同じで、学んでいくことも、同じペースや同じ感覚、同じスタンスでできるかどうかが、とても大事になってきます。

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このような長期的な視野で将棋という勝負に挑み続けているからこそ、羽生名人は長い間将棋界の頂点に立ち続けられるのだろう。
ところで、羽生名人はマラソンやジョギングをなさっているのだろうか。これまでそういう話を私は聞いたことがない。

将棋とマラソンの類似点 「緩急」

私はプロ棋士でも無いし、アマチュア大会に出場し続けるアマチュア棋士ですらないので、持ち時間の長い将棋を戦い、また何十年と続く将棋指しとしての人生を見据える、羽生名人のような視点から将棋とマラソンの類似点を見出いだすことはできない。
へぼ将棋指し、そしてへぼランナーである私から見た将棋とマラソンの類似点。今回練習も含めて長い距離を散々走り、いろいろ考えさせられたが、一言で表すとそれは「緩急」だろうか。とりわけ、

という上下間の思想の差が似ている、と感じる。

マチュア将棋指しは基本的に自分勝手な読みをし、自分の中での最善手の応酬で読みを進める。なかなか緩急を付けるのは難しい。
一方でプロ棋士は、大局観をもとに客観的な立場で読みを進めることができ、それは相手の立場に立って考えることができているともいえる。そのため、片方からの一方的な攻めの変化だけに偏らず、緩急を付けた手順を読み進めることができるといえると思う。

マラソンにいたっては、市民ランナーは基本的に対戦相手はいないので、自分との孤独な戦いに終始する。自分の体と相談しながら1キロ毎のタイムを忠実に守り、マイペースで進めばよい。
それに対しトップランナーは、上記に加え、他のランナーとの駆け引きが必要となる。マイペースでいけばよいのか、ついていく必要があるのか。メンタル面においてその苦悩・葛藤が42.195キロ続き、またフィジカル面でも実際にペースが狂わされる。
この条件が加わったら、私は走り切る自信は無い。外人選手には負けてよく(つまり外人選手の存在を無視できる)日本人の中でトップに立てばよい代表選考レースと、金メダルをとらねばならないオリンピックは、全然質が違うのだろうなということを感じた。また、金メダルと銀・銅メダルの差も雲泥のものがあるだろう。

「メンタルの強さ」

「精神力の強さ」が将棋でもマラソンでも共通して重要なのは、客観的にはまあ言わずもがなに感じるが、皆さんは将棋またはスポーツにてそれを実感したことがあるだろうか。これまでの人生、肉体スポーツで本気の試合に挑んだことがなかった私は、スポーツ選手がメンタルの重要性を説くたびに白けた気分でいたが、今回のマラソンで「メンタルの重要さ」を味わわされた。
1日最長15キロ(15キロ以上をとおして走ったことがない、ということ)の練習の末挑んだ、昨年11月の横浜マラソン(ハーフマラソン)では、15キロ地点を過ぎた後に「残りの未知の6キロを無事走りきれるだろうか」という不安に襲われ、その後17キロ地点以降足が全然動かなくなった。トータルではそこそこの距離を練習していたにもかかわらず。
一方今回の東京マラソン。本番まで、1日24キロ以上の練習をしたことがなかったが、ここ半年のトータルで何百キロか走った側面しか考えず完全にポジティブな気持ちで走った。ずーっと予定よりもややオーバーペースだったものの、「絶対にこのペースで最後までいける」と全く雑念無く走り続け、実際ペースが落ちずに最後まで走り続けることができた。おそらく雑念に襲われていたら、その瞬間ペースを緩め(負の緩急)、逆に意表を突かれた足が痙攣していたかもしれない。メンタルはフィジカル(力を最大限に発揮できるか)の出来を大きく左右する。そして「フィジカル」だけでなく、より脳に直結した「思考」=「読み」についても、当然同じことがいえるはずだ。

これまでの将棋人生、悪手を指した後は必ず後悔し、過去の局面の変化をグダグダと読んでしまっていた自分。または自分勝手な必勝手順を悦に入って勝手読みしていた自分。そんな反省や構想検討は対局後にやればよい。メンタルの強さがあれば、今頃あと大駒一枚は強くなれていただろうか。
と、これは寄り道の類のレベルの低い話だが、建設的な読みに限っても、メンタルの持ちようで手の見え方が大きく変わってくるに違いない。

「練習は嘘をつかない」

とりわけマラソンについて言える、まさしく「金言」がある。

「練習は嘘をつかない」。

マラソン(フルマラソンでなくてよい)は、練習すれば劇的にタイムが上がる。練習が直に結果に反映されるので達成感がある。興味がある方は、日頃の運動不足の解消ももちろん兼ねて、ジョギングしてみてはいかがだろうか。なんとなくいけそうだと感じたら、10キロくらいの大会や、数人集めて1人あたり5キロくらいの駅伝大会に出てみるとよいだろう。

個人的には、次は3時間半切り(俗称「サブ3.5」)を目指したい。指し将棋の方はとりあえず現状でいいや(笑)。