将棋の神様〜0と1の世界〜

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」&「チェスクロイド」作者がおくる、将棋コラム

//移転しました。

コンピュータ将棋による事前検討支援について

//移転しました。

コンピュータの「外野検討」は問題無し

2008/05/24のエントリー「コンピュータ将棋の遺す棋譜は、「不気味の谷現象」のキャズムを超えるか」にて、下記のように述べた。

  1. コンピュータ将棋がプロ棋士の棋力を越えた後、しばらく経てば、人間は強すぎるコンピュータ将棋への違和感を捨て、コンピュータ将棋の棋譜を普通に並べるようになるだろう。
  2. とはいえ、プロ棋士が事前研究をコンピュータに依存するようになると、プロ将棋の面白みが減ってしまうのではないかと不安。

プロの対局において、「詰み」に関しては、控室での検討中コンピュータを走らせ常にとん死有り無しを確認している。これは観戦記の中で多く語られるエピソードとして周知の事実。コンピュータの「詰め将棋力」は人間を完全に凌駕しているので信頼がある。ただしそれで人間の将棋がつまらなくなるわけではなく、このとん死ミスが「人間らしさ」が現れる場面であり、醍醐味を味わえる1つの要素となっている。また、渡辺明竜王が述べている

タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。 「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。

という言葉が、人間同士の対局中の、「コンピュータ将棋の外野検討」にも当てはまるといってよいだろう(まあコンピュータには対局時と観戦時とで読みにブレは生じないが。虚しさは常につきまとう)。対局後は、いくらでも事後検討に使ってください。*1

これを踏まえ、文頭に述べた2つ目の意見に補足すると、下記のようになる。

  • 対局中と対局後のコンピュータ導入は問題無い。対局前のコンピュータ依存は、気になる。

すでに行なわれていた事前検討

事前検討にコンピュータを用いたエピソードについては、個人的には今まで見たことが無かったが、「将棋世界」2008年7月号(もうすぐ出る最新号ではなく、6月頭に発売した号です)に載っていた。(ぜひ本誌の全文をご覧あれ。)

控室では青野九段が「(第1図を)コンピュータにやらせたんだよ」と△5八香成▲同金△3七桂成の順を示していた。(中略)
「これ結構大変じゃないですか」と佐藤棋聖。「この手が最善手だったら人間が1年考えた手がコンピュータは3秒ですよ」という声も上がる。

「将棋世界」2008年7月号 P78 第79期棋聖戦挑戦者決定戦 羽生、3年ぶりの挑戦


この第1図は、前述のエントリー「コンピュータ将棋の遺す棋譜は〜」でも述べたとおり頻出で前例のある局面であり、事前研究ができてしまう。
普通の人には微笑ましいエピソードでおしまいなのかもしれないが、私にとっては過敏に反応してしまう、危機感を感じるエピソードだった(そう感じる人は優れている、とかいう話ではなく、単に興味を持つ分野かどうかの問題)。中にはこのエピソードを読んで興ざめしてしまった方もいらっしゃるのではないだろうか。
「相手の研究にはまると力が出せない」といわれるが、自力で研究を積んできた(複数の人間同士の研究会も、人間の編み出した英知と考えられるので全く問題無い)相手ならばともかく、コンピュータに助けてもらっていると感じられる相手では、対局者のやる気も損なわれてしまいそうだ。

避けられない未来。どうすればよいか

しかし、コンピュータ支援による事前検討は、将来的に避けようもない。では個人的意見として、どうなってほしいか。それは、

  • 言わぬが花、書かぬが花

である。プロ棋士に、軽々しく事前コンピュータ支援エピソードを語ってほしくないし、プロ棋士からそういう話が出ても記者は記事にしないでほしい。

持ち時間条件付とはいえ、コンピュータがついにトップアマを下した2008年。何の気なく将棋世界に載せられたこのエピソードは、「コンピュータ将棋元年」*2マイルストーン(第1部「コンピュータ将棋とたわむれる、お気楽な時代」)として記憶にとどめておくとよいかもしれない。こんなエピソード、いづれ見られなくなりますよ、多分。*3

補足

2008/07/02追記

再度考え直し、以下に追記する(makさん、山田さん、貴重な参考情報ありがとうございました)。
先行するチェスの状況を鑑みると、「語らない」という方向に収束することはなさそうだ。事前研究においても、「不気味の谷」の意識を越えて、コンピュータ研究支援を素直に受け入れるべき。

現状、一部のプロ棋士の方は無邪気にコンピュータ支援を用いている状況のようだが、来たる未来には、コンピュータ支援に対し真摯に向き合って検討に取り入れるべき。コンピュータの新手・新定跡を十分に咀嚼し、他人事(コンピュータ事)でなく自分の言葉として冷静にそれらの手を語れるようであってほしい。これは「プロ棋士の品格」と呼べるものだろう。それができないと、コンピュータを用いて単に新手自体を知っただけのアマチュア棋士と同じになってしまう。

観戦記者は、いちジャーナリストとして「書かないで見過ごす」ことは不要。的確に控室における状況を伝えてほしい。

*1:ただし、この「事後検討」が将来の対局への「事前検討」に繋がる、というジレンマがつきまとう。本を正すと、現代将棋においてあまりにも終盤まで同一局面が続くことにこそ問題があるといえようか。

*2:勝手に名付けた。Googleで「コンピュータ将棋元年」で完全一致検索をかけたがなぜか1件も無い

*3:あくまで推測。はてさてこの先どうなるやら。