将棋の神様〜0と1の世界〜

「三間飛車のひとくちメモ」管理人、兼「フラ盤」&「チェスクロイド」作者がおくる、将棋コラム

神様は「ジリ貧の受け」がお好き?

「将棋は、両者が最善を尽くすと何手くらいで勝負がつくのか?」というような議論がある。この問題定義は、用語の意味がそれぞれ曖昧で、皆が別の感覚でこの解答予想を述べている。プロ棋士がこの議題について述べるときは、「きれいな一手差の将棋で、鑑賞に堪え得る棋譜であること」が前提になっているといえる。つまり、最後のほうは攻め合いで、不利側が必死をかけたところで優勢側がきれいに超手数を詰まして勝ち、という将棋である。これは、「最善手」の定義が曖昧だから起こることであり、上記のような前提があるならばこれはこれで正解でよい。

このコラムでは、各用語を以下のように定義し、「将棋は、両者が最善を尽くすと何手で終局となるのか。」について考えてみる。
「最善手」の定義等(2004/02/23)
「終局」の定義(2004/02/18)
お互い、終局まで最善手を指し続ける。優勢側は最短手数で、不利側は最長手数となるよう一手詰みの局面まで指し、ここまでの手数を解答とする。なお、初形が引き分け(千日手または持将棋)ならばこの議論は無駄となるが、その場合は形勢に差が付くように適当に数手指したところから始めればよい。

おそらく、序盤、中盤、そして終盤の入口までは駒の損得の無い攻め合いとなるはず。優勢側が一方的に攻める展開だとしたら、不利側の意図に反し手数が短くなってしまう。ただしそれが人間の作った定跡手順の1つにしばらくの手数沿うかどうか、そして固く囲い合う将棋か、急戦調であるかどうかは、私には全く不明。

そしてここからが本題。終盤のどこかで、おそらく不利側がジリ貧の受けを始め、最長手数の負けとなる順を選ぶ。このモードに入ると、不利側に全く勝ち目が無くなる。
どこで受け一方に転じたら終局までが最長手数となるかなど、人間は読もうともしないし、読み切るのは相当大変な作業だ。例えば、手数を伸ばそうとして下手に攻めて駒を渡そうものなら自玉の寄りが早くなる。または、受けが受けにならず手数が短くなる。または、自玉が23手詰めの必死・・・手数を伸ばそうと王手をラッシュかけたら、11手王手ラッシュかけた代わりに駒渡しすぎて自玉が3手詰みになってしまった・・・。などなど。
しかし将棋の神様は、不利側を持った場合最長手順が読める。「最後のお願い」(受けても仕方ない局面で、相手が見落としていることを願って攻める)などせず、不利の局面では常に最長手数での負けを目指す。「ジリ貧スイッチを入れる一手」は、ある意味「次の一手 神コース」とも呼べる、人智の及ばない一手であろう。